僕は身体を動かすのが好きです。 主に体力作りの目的だけども、ランニング・サイクリング・トレッキングなどは日常的によく行ってます。
なんで急にそんな話を…というと、こんなツイートがリツイートされてまわってきて、ちょっと思い出したことがあったから。
ジムに行くようになってわかったのは、「俺は運動が嫌い」ではなく、「小学校から大学まで行われた体育教育が嫌いだった」ということである。自分で好きな様に適当に見栄を張らず自分の設定した負荷で、のんびり筋トレしたり走ったりするのがこんなに面白いとは思わなかった。
— 鐘の音@BOOTHにて新刊委託中 (@kanenooto7248) 2016年3月2日
実際、僕は子供の頃は身体を動かすことが嫌いだった。 まあもともと運動神経とかはなかった方だと思うけれども、多分一番の原因は「義務教育の中で体育を強制されたから」だろうなあ。
今にして思うと、僕が嫌いになったもの、苦手になったもののほとんどは義務教育の過程によって作られたような、そんな気がします。
義務教育の過程で嫌いになったもの
軽く、義務教育のおかげで嫌いになったものをならべてみました。
- 体育
- 数学・理系
- スパゲティ
- イカ
- 球技
- 柔道
義務教育の内容というのは基本的に強制で、選択できる余地というものはほとんどなかった(今はあるのかな?)ので、教育を受けたもののほとんどは、強いられてやったものがだったのだよね。
体育なんかは、好きでもない球技や長距離走などが選ぶ余地なく参加させられたし、得意な人間は活躍できて楽しいが不得意な人間はなんにも楽しくないというような、ただの苦痛の時間だったように記憶している。
そういえば…体育の武道の時間は、「柔道」か「剣道」かのどちらかを選択できたのだけど、剣道が選択多数にだったために、半ば強制的に柔道を選択することになったんだった。
剣道という選択から僕が漏れた理由が抽選だったか、理由不明だったかは忘れたけども、そうして自分の選択外で受けることになった柔道も、やっぱり嫌いになってしまったのだよね。 (受け身の練習とか、キツかったし。)
給食でも、ある学年のときに「半分以上食べないと昼休み返上で食べ終わるまで残される」というローカルなクソルールがあったので、苦手な食べ物は更に苦手になりました。
ほら、給食のスパゲティって、ソフト麺だったじゃないですか。 あれ、嫌いだったんだよねぇ。 普通の市販の麺だったら美味しいから嫌いにはならなかっただろうに、あのソフト麺を強制的に食べさせられることで、スパゲティが大嫌いな食べ物に変化してしまったのだった。
そうした苦手なものも食べさせるという強制(教育のつもりだったのだろうが)は、今でも僕の食べ物の好き嫌いに多大な影響を与えてるように思える。 ある意味では、トラウマに近いものを給食によって植え付けられたという感じだ。
「何を大袈裟に…」と思うだろうけど、子供時代は学校が人生のほぼすべてなんだから、仕方ないじゃないか…。
その後、好きになったものもある
そうして強制されたもののほとんどは、義務教育を卒業しても嫌いなままのものが多かったのだけど、歳を重ねるにつれて改善されてきたものも、実はけっこうあるのだよね。
運動なんかは最たるもので、小学・中学では嫌いで嫌いで仕方がなかった身体を動かすということも、今や身体を動かさないと調子の悪さしえ感じるようになってしまった。
今は自主的に身体を動かしたい! という欲求によって、自分から行うようになりました。 小中学生の頃って、僕マジでインドア引きこもり派だったんですよ。
食べ物においても、どうしてもその給食での「食べ終わるまで許さないルール」の影響で嫌いになっていたものも、最近は普通に食べられるようになってきた。
スパゲティは長いこと手をつけることに抵抗があったけども、スパゲティ自体はもちろん美味しいし、ちゃんとした麺であれば普通に美味しく食べられる程度には、リハビリで回復しましたもん。
作るのがけっこう簡単なこともあって、最近は割と好きな部類だったりして。
強制は好きになる可能性のあるものをも嫌いにさせる
こうしたことを改めて考えてみると、少なくとも僕にとって強制されたことがプラスに転じたことは、一度もなかったと思う。
むしろ、嫌いなものを増やすことに一役買っているとしか思えなかった。 僕にとって強制されることは、ものを嫌いにさせる最強の方法なんだと思う。
大多数の人は強制されることでやるべきことを学んでいくのかもしれないけれど、すべての人間がその強制によって矯正されるわけではない(いや、ギャグではなくね)ということは、紛れも無い事実のハズ。
実際、現時点の僕はブログ収入というやりたいことで収入を得られているわけだけども、仮にこれも強制されてやっていたら、全然楽しいとは思ってないだろう、とハッキリ断言できます。
強制されずに自分で選んだからこそ、好きになれるんだと思う。
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自分から選択して、好きなことで生きていく(YouTubeか!)というのは、すべての人間が選べる道ではないということも、ある意味では真実だと思う。
ので、大多数の人間を教育するという目的の義務教育では、ある程度しかたないことなのかもしれない。
でも、それで取りこぼされる人間がいることも事実なんだよね。 義務教育なんてもう十数年以上前の話だから現在の教育の場はわからないけども、多様性が認められるような雰囲気になったかというと、とてもそういう風には、見えないなあ。