「つまらない一般常識」に無理して合わせた人間よりも、マイノリティな人間のほうがよっぽど幸せだと思う


Cap 2015-05-01 10.07.00

はいこんにちわ。 来年ワーホリでニュージーランドに行くために8月末で仕事を辞める予定のやまぶきです。

今年のゴールデンウィーク中に過去に読んだ本を読み返すなどやっていたのだけど、「ニートの歩き方」という本にとてもいいことが書いてあったので紹介しておきたいなと思います。

学校でのいじめなんかは選択肢が少ないから起こる不幸の典型的なものだ。

小学校や中学校や高校は、クラスが固定されているので人間関係も固定されてしまって、人間関係がうまくいかなくても決められた教室に登校するしかない。 だからと言って「学校に行かない」という選択肢もまだまだ今の日本ではハードルが高い。

そういう閉鎖的な環境にいるからいじめなんてくだらないことが起こってしまう。 その証拠に、クラスなどの強制的な結び付きがあまりなくなる大学では、小学校・中学校・高校みたいないじめはほとんどなくなってしまう。

(中略)

いじめられたほうがすぐに別の場所に逃げちゃうことができれば、いじめなんてエスカレートしないものだ。

だけど、顔を合わせる人間を変更しにくいという学校のシステムや、与えられた環境に不満を言わず我慢するべきだというような同調圧力が人を逃げにくくして、その結果として不幸が生まれてしまう。

 

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割と鋭いニートの考え方

このニートの歩き方という本、基本的にはタイトルの通りニートで働かなくてもなんとか生きていけるし、それなりに楽しいよというのを語っている、ネガティブなようで非常にポジティブな趣旨の書籍です。

ただのニートに関するだけの話ではなく、社会での生き方についてもかなり鋭い意見が書かれているように思う。 二言目には「だるい」とか書いてある本なのだけど。笑

ぼく自身は、この書籍でうたっていることにはかなり同感を覚えてしまった。 特に、クラスという強制的な集団活動によるいじめの発生のメカニズムについての指摘は、かなり的を射ている意見じゃないかなと感じてます。

学校のシステムに感じた違和感

ぼくもどちらかといえばクラスではいじめられる側だったし、当時から割と変わり者だったという自覚もある。

別に友達がゼロだったわけじゃないけど、クラスが変わると今までと違う人達と一緒に生活することを強制的に決められたし、そこに自由がなかったことも間違いないと思う。 僕は当時からそれが不満だった。

最終的には小中高ともフルに通って卒業できたわけだけど、それだって環境は偶然よかった(許容できる程度には)だけだし、環境によってはもっと劣悪な組み合わせのクラスに入ることもあったのかもしれない。

逆にもっと良い組み合わせのクラスに入ることもあったかもしれない。

 

このシステムならいじめ問題は必ず存在する

人格形成に大きな影響を与えるであろう、10代の頃の時期に、人付き合いという点で自由なくランダムに人間を割り当てて共同生活させてしまうシステムは、やっぱりいびつなものがあると思う。

大多数の集団生活に簡単に適応できる人間にはこのシステムでも問題ないのかもしれないけど、適応できない人間だっているわけだし、そういう人間はやっぱり一定数かならず存在すると思うんですよね。 ぼくのことですが。

そうしたマイノリティはどうしても一定数存在するという本質を考えずに「いじめを無くす」というようなスローガンを掲げてどうするべきか!? なんて議論しているのはバカバカしいことなんじゃないだろうかと思ったりします。

このシステムがあるかぎり、未来永劫にいじめ問題はなくなったりしないんじゃないかなあ。

この国の同調圧力

学校ほど極端ではないにせよ、会社員生活も似たようなものがあるように思う。

仕事内容は完全には選べないし、職場も選べない。 こんな仕事は嫌だから転職したり休職しようとしたりしても、家族を養わないといけないような環境に置かれたら、それもなかなか簡単な事じゃない。

そう考えると、小中高のクラス制のシステムは日本式の社会に同調させるための訓練というような位置づけにも感じてくる。

 

基本的には同調圧力という「こうあるべき」「こうしない奴は落ちこぼれだ」というような強迫観念がまだまだこの国にはあって、マイノリティが生きづらい社会を作っていると思う。

ニートの歩き方ではこんな内容もあった。

結局それは向いているか向いていないかというだけの問題だったと思う。 世の中で一般的とされているルールや常識や当たり前は、世の中で多数派とされている人たちに最適化されて作られている。

少数派がそんなアウェイな土俵で戦っても負けるだけだ。 無理して我慢しても意味がないし、向いていない場所からは早めに逃げたほうがいい。

レールから外れることで自分と違う人種の人たちにどう思われようが気にすることはない。

自分が向いていない場所で我慢して仕事をしたとしても、自分自身もつらいし、周りの同僚や上司もイライラするし、仕事も進まないし、お客さんも不幸になる。

全く誰も得をしない。 それならば、もう少し自分が無理なくいられる場所を探したほうがいい。

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一番良くない、人と違うことを晒しあげるような風潮

この国特有のダメな部分のひとつに、人と違うことをしようとするとバカにして、晒し上げようとする風潮があるようにも思う。

「KY(空気よめない)」とか「意識高い系」とかのワードはいかにもこの国の風潮を象徴するような単語で、少しでも他人と違うことをすることを恥ずかしいことのように晒しあげるという国民性があるように思う。

もっとメジャーな言葉でいえば「出る杭は打たれる」というやつですね。

最も情けない「同調圧力に屈している人間」

同調圧力というものを特に感じず、一般的な暮らしをしている人はまだ良いと思う。 本人がそれで何の苦もないのであれば、それはそれでいいことだと思う。

実は自分自身もマイノリティで現状に不満があるくせに、マイノリティの意見に反発して「KY」「意識高い」とか煽ってくる人間もいると思う。 僕はよっぽど、そういう人間の方が情けないと思うんですよね。

自分ができないから他人の足を引っ張るような人間ほど、情けない人間はいないと思う。 で、日本にはそういう人間が割と一定数いる気がする。

それはやっぱり、同調圧力という大きなものがまだまだ強いからなんじゃないでしょうか。

まとめ

書いていてちょっとまとめづらい感じになったきたので困っているのだけど、とりあえず僕がいいたいのは「大多数の一般常識に無理やり合わせて窮屈さを感じながら生きる必要なんてまったくない」ということです。

僕はこういうマイノリティだけど自分自身の意見を述べたり、愚痴を言ったりしている書籍やサイトを読むのがとても好きで、「こんな風に考えている人間が僕以外にも居るんだなあ」という安心感を感じたりできるんですよね。

同調圧力に無理に従わなくても別にいいんじゃないか? という考えを持った人がもっと増えればいいなと思っているし、同じように考えてくれる人が増えればいいなと思ってこんな記事を書きなぐりました。

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